音偽譚

創作

【個人的心中論】100%は存在しない

人間というものは弱いものです。
欲求には負けるものです。

心と体は全くもって別のモノとして捉えるべきである。

3大欲求には逆らえないのです。

勉強しなければならない。
けど寝てしまう。寝ざるを得ない。

痩せたい。
けど食べてしまう。食べざるを得ない。

恋人がいる。
けど据え膳は食ってしまう。

願望は弱い。強要されることは弱い。
弱きに流れるのが好きなのです。
本当にその時したいことは、常常考えている理想とは遠く離れているもの。
離れているからこそ理想なのだから。

性行為には種類があります。

愛し合う者通しの愛による愛のための、証明、確認行為。
繁殖を目的とした行為。
本心はしたくない、けれどやむを得ず行われた行為。
自分を傷付け貶める、自傷としての行為。
自分が傷付き、その恨みを晴らすために対象者を傷付け、自分の感情を殺すことも厭わない復讐としての行為。
寂しさを埋めるための行為。
そして
純粋に快楽だけを求める行為。
様々です。

最後に選んだひとが、あなたの心に残った人が、あなたが望むパートナーであり
欲求に流されたとしてもそれは心に決めた人を裏切ったことになるかと問われれば
そういった思考に結びつくことがそもそもナンセンスなのである。

俗に言う浮気は、結局心の在処によって決まるもので。
浮気行為が行われたとして、パートナーに対して必ずしも100%罪悪感を抱くのはおかしいのです。
もちろん抱くのもあなたの自由ですが。
浮気を肯定しているのではありません。
ただ、元より日本はフリーセックス文化なのです。

あなたが、パートナー以外と性行為をした時にあなたの心がどういう状態にあったかが大事で。

ただその時の快楽や欲求に従った。ならばそれは浮気と呼ぶことはできますが浮ついた心の範疇を出ない。なぜなら心はパートナーだけを想っているから。

浮気相手に心を奪われてしまった。ならばそれは裏切り行為であり、早急にパートナーを元パートナーにしてあげるべきで。

本来のパートナーにもう心を残していないのにずるずると自分のものでいさせることは最も酷なことです。自分勝手が過ぎますから。

パートナーを愛しているのに浮気をしてしまった。それはある意味仕方ないことなのです。人間は欲求や流れには逆らいにくい生き物なのです。本能に刻まれた行為に背くことは出来ないのです。

拒食症でも少しは何かを口にします。
不眠症でも少しは眠ります。
人間とはそういう生き物なのです。

パートナーを本当に愛しているなら浮気はしない?
いえいえ。
世の中そんな人がたくさんいるわけないでしょう。
みんな表装を飾って生きている。
言わなくてもいいことは言わない。
口は災いの元。
一般的に言うなら、汚い心の持ち主、しかいないと思っても過大解釈ではないと思います。

巷は、穢い話で溢れている。

悩むこと自体がナンセンス。意味がない。
善か悪かしかいないなんて有り得ません。
その考え方はキリスト教的思考で、元々日本には存在しない考え方。

けれど。

一途であるべき。浮気は悪で最低だ。
そんな思考回路を生まれた時から世間に刷り込まれてきたあなたが、今辛い思いをしているかもしれない。

恋人に裏切られた。
もしくは
恋人を裏切った。

まずは相手の心が何処か。あなたの心が何処か。

相手の心があなたにないなら早々にお別れすることをオススメします。
人の心は移り気です。
相手の心があなたにあるなら。許せとはいいません。あなたの心が許せるなら許す。あなたの心が許せないならこれもまたお別れ。
お互いの心の位置でお決めあそばせ。

逆もまた然り。

一応フォローしておくと、世界が悪だと言っていることはなるべくしないようになさった方がよろしいでしょう。世界は、浮気は如何を問わず悪だという。ならば表向きだけでもそうしておいた方がよろしゅうございます。
世界に弾圧されようともあなたの心に抜け道があるだけで、例え言い訳であろうと幾分か救われるのでは。

極論、誰がなんといおうと心の中でだけは自分が好きなように信じていればいいのです。大事なものは我が身。むざむざ自分を常識とやらで追い詰めて世間に殺される必要はないのです。


さて、1番説明しやすいかと思ったので肉欲を例にあげましたが私は文章が下手なのであくまで自論説明というより支離滅裂な空想、ないしフィクションとして捉えていただきたい。


私が言いたいのは詰まるところ


二元論は下らない。


それだけ。